坂本龍馬 龍馬脱藩の道(坂本龍馬2) 中城家、才谷屋(坂本龍馬3)
高知市種崎の中城家

中城家
 慶応3年(1867)9月23日、ライフル銃千挺を芸州藩船震天丸に積み込み土佐湾に入ってきた龍馬は、ひそかに種崎に上陸して、才谷梅太郎として一時ここ中城家に潜伏した。
 龍馬が中城家を潜伏場所として選んだのは、龍馬の継母伊与の里である川島家(元は中城家の近くにあったが、安政元年の地震による津波で被害を受け、山裾にある仁井田に移転)とも交際があって、少年時代に川島家に遊びに来た龍馬が、中城家の人たちとも面識があったためだろうと考えられている。
  中城家は代々山内家御船手方を務める家柄で、このときの当主直楯も大廻船御船頭であった。直楯の長男直正(初代県立図書館館長)が、のちに母早苗からの聞き書きとして記録した「随聞随録」というメモ帳に、龍馬来宅の模様が詳しく書かれている。この後、10月1日には震天丸で浦戸を出港し、僅か1ヶ月半後の11月15日には帰らぬ人となっており、彼にとってはまさに最後の帰郷となった。




(画像※1)標識の説明文より。


中城家標識(画像※1)
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高知市上町 才谷屋跡
坂本龍馬の本家 豪商才谷屋跡

坂本龍馬の本家である才谷屋は、坂本家四代(当時は大浜姓)八兵衛守之が寛文六年(1666)に長岡郡殖田郷才谷村(現南国市)より高知城下本丁筋三丁目(現上町三丁目)に移住し、妻佐耶と二人で借家で質屋を、始めたのが始まりでし、屋号は出身地の名より才谷屋とした。
後に酒造業、諸物品売買にも手をひろげ、才谷屋の基礎を作った。
 二代正禎は本丁筋年寄役を命ぜられ、三代直益のころに才谷屋は、城下屈指の豪商となり、次男直清に才谷屋を継がせ、長男直海を明和七年(1770)に本丁筋一丁目(現上町一丁目)に郷士株を取得し分家させ、郷士坂本家の祖とした。
 郷士坂本家はその後、八蔵直澄、八平直足(養子)権平直方と続き、坂本龍馬直柔は天保六年(1835)11月15日権平直方の弟として誕生したのである。


坂本龍馬 龍馬脱藩の道(坂本龍馬2) 中城家、才谷屋(坂本龍馬3)

和霊神社は2010年3月、津野町は2005年10月、梼原町は2013年7月、中城家は2010年3月、才谷屋跡は2012年5月撮影です。

取材は随時行っておりますので、まだまだ追記予定です。
又、遊びにいらして下さいね♪

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