中岡家はもと土佐郡領家村(現高知市鏡)の大庄屋で平助を三代襲名していましたが、後が絶えたので、高知廿代町の庄屋寺石正道の三男が長岡郡上倉郷(現南国市上倉)の庄屋中岡家を嗣いで要七と称しました。
要七の婿養子となった二代目要七は、吾川郡西畑村(現高知市春野町西畑)庄屋、吾川郡八田村(現いの町八田)庄屋を経て、文政七年(1834年)北川郷の大庄屋となりました。
この時に開かれた屋敷がこの柏木の屋敷であり、中岡慎太郎もこの屋敷で生まれています。
慎太郎の死後、この家は明治13年5月29日付けで安芸郡北川郷柏木村居住、中岡照久から、同郷野友村居住前田弥五郎に、前田氏は更に野友の井津氏に転売しています。
また井津氏は更に安岡亀弥に転売、安岡氏は田野町ヨケに移築、料理屋“朝日楼”を経営していましたが、おしくも明治40年の台風のため流失しました。
現在の建物は、村内にあった売渡証文や、関係縁者の証言、郷土史家の安岡大六・前田年雄両氏の考証を得て、およそ360万円で昭和42年11月17日に復元落成されました。 |
|
大庄屋の仕事
一、さまざまな法令を村民に知らせること
一、親孝行する人や長生きしている人にご褒美を出すための手続き
一、洪水や火災など、非常事態が起こったときの取扱
一、罪人や不審者に対する注意、遍路等差配のこと
一、田地の売買や質入れするときの手続き(登記事務)
一、手紙や荷物の受付と発送する人夫などの手配(郵便運送事務)
一、年貢米の取り立て、年中行事で必要なお金の取り立て(税務)
一、村人からの控訴や罪人の取調(裁判)
その他、風俗の取り締まり、殖産興業、普請、宗門改め等に至るまで、
あらゆる事務を取り扱っていました。
|
|
|