こんな感じ... その2
2015.04.23
皆様今晩は♪
今日の高知は、曇りのち晴れのち曇りでした☆
昨日とは違って、我が家上空は、そんな感じでございました。。。
昨日に続きまして...その2
人の看病や介護をするのは、実際は大変です。
けんど、個人的に思うことは、病人の方がもっと辛いし、しんどい・・・ってことかな。
私自身の環境にあったことは、幼少の頃、父方の祖母と同居であったこと。
年齢のこともあり、少し足が不自由やったき、ステッキの様な杖を使いよった。
祖母の側に、時間がある限りいっつも居って、諸事をこなすのが私の役目。。。
祖母が他界したのは、小1の2月。
粉雪が舞う寒い日でした。
何時からという詳しい事情は定かでは無いが、多分、余命が関係してか、ずっと在宅介護やった。
その介護をしていた人。つまり私の母。
今にして思うと、昼夜を問わず大変やったと思う。
最初は、そんな母を手伝うつもりで、誰に言われるでも無く、祖母のポータブルトイレを見よう見まねで洗ったことを記憶しちゅう。
母方の祖父も寝たきりで、遊びに行くたび、食事の介助や尿瓶のお世話を進んでやった。
誰の目にも「優しい子」に映ったに違いないと思うがです...
けんど、私の中にあったことは、自分のことが自分で出来んことが可哀想に思えた。
人にお願いせんといかんと言うことが可哀想に思えて...
子供心に、人に気付かれんうちに... なぁ〜んて、サッサ・・・ってな感じ。
けんど、人の目には、どんな風に映っちゅうのかは知らんし分らんし気付かん。
私にとっては、どうでもえいこと。
何時の日か、それが土台となってか、管理の確立で頼りにされる様になった・・・と思う。
大腿骨骨折オバちゃんを看ていた時、電話が...
随分前にお料理屋さんでお客同士として出会って、その会話から意気投合!「お姉ちゃん」「mikiちゃん」と呼び合う仲で、お街に出て来た時に、「今何処何処で飲んでるけど時間があれば出て来ない?」なぁ〜んて。
殆どスルーする多忙な私やけんど、折りに触れ気に掛けて下さる優しいお方。
何時も旦那さんとご一緒で、ホンマに仲が良いご夫婦やなぁ〜と思いよった。
そのお姉ちゃんの携帯から掛かって来た声の主は旦那さん。
もう最期になるから顔を見せに来て貰えんか...って。
最期って何? 衝撃が走る。
文句タラタラの伯母をナースさんたちにお願いし、伺っていた病院へ。
「mikiちゃん来てくれたがやぁ... 会えて嬉しい」と抱きしめられた。。。
木切れの様に細くなった腕。
ふくよかだった面影は、そこには無い。背中を摩った掌に一本一本の骨の感触が伝わる程に痩せちょった。
長いこと会ってなかった間に、何度も手術を受けて、放射線、抗ガン剤治療をしていたらしい。
帰りに旦那さんから「手の施し様が無いから。もう幾許も無い。こんなことお願い出来んけんど、暇があったら、会いに来ちゃって貰えんろうか。ちょっとでも延命に繋げたい」と言われた。
その日から伯母とお姉ちゃんの病院へ通うことに...
ホスピスってね。患者さんが自由にしたいように出来るんですね。
食べたいもんも制限無いし、面会だって自由(確か..そうだった)
強い吐き気でご飯が食べれんって言いよったけんど、通ううちに「手巻き寿司が食べたい。羊羹が食べたい」なんて言うてくれる様になって...
旦那さんに、ついでに私の分迄買いに行かせたり...
一口だけでもいいじゃん!こじゃんと贅沢せんと・・・って、旦那さんに色々注文をつけて、両手一杯に買い物袋を抱えて帰って来た旦那さんを見て大笑いした。
ホンマ、治らん病気なら、このまま時間が止まれば良いのにと何度思ったことか。。。
けんど、お別れの日ってやって来るのですね。。。
酸素マスクを付けて、言葉を発せん様になっても、しっかりと手を握り返してくれて...「ありがとう」と言うお言葉。
しっかり頂戴しました。
旦那さんに声を振り絞って「一緒に居れて幸せやった」と言った言葉が最期になりました。
四十九日が過ぎ、ご夫婦だと思っていたのに、ご夫婦で無かったことを知りました。
色々とご事情があって、ご夫婦にはなれんかったがですね。
けんど、お姉ちゃんはホンマに幸せやったと思います。
籍こそ他人ですが、本気で愛し愛されちょった...
「世の中には、こんなに我が儘で自由奔放な人も居るがやなぁと思いよったけど、伯母さんのお世話もするし、結構見直した。バレンタインに貰っちょったチョコですが、残しておいたのであげる」と師匠。
ホンマ! なんちゃ〜知らんと!
・・・って!箱を開けると
(*/∇\*)キャー
可愛い〜〜〜 ♪ d(⌒o⌒)b♪♪ d(⌒o⌒)b♪
暫し眺めて・・・・・
パクリ☆
ご馳走様でした♪
今日の高知は、曇りのち晴れのち曇りでした☆
昨日とは違って、我が家上空は、そんな感じでございました。。。
昨日に続きまして...その2
人の看病や介護をするのは、実際は大変です。
けんど、個人的に思うことは、病人の方がもっと辛いし、しんどい・・・ってことかな。
私自身の環境にあったことは、幼少の頃、父方の祖母と同居であったこと。
年齢のこともあり、少し足が不自由やったき、ステッキの様な杖を使いよった。
祖母の側に、時間がある限りいっつも居って、諸事をこなすのが私の役目。。。
祖母が他界したのは、小1の2月。
粉雪が舞う寒い日でした。
何時からという詳しい事情は定かでは無いが、多分、余命が関係してか、ずっと在宅介護やった。
その介護をしていた人。つまり私の母。
今にして思うと、昼夜を問わず大変やったと思う。
最初は、そんな母を手伝うつもりで、誰に言われるでも無く、祖母のポータブルトイレを見よう見まねで洗ったことを記憶しちゅう。
母方の祖父も寝たきりで、遊びに行くたび、食事の介助や尿瓶のお世話を進んでやった。
誰の目にも「優しい子」に映ったに違いないと思うがです...
けんど、私の中にあったことは、自分のことが自分で出来んことが可哀想に思えた。
人にお願いせんといかんと言うことが可哀想に思えて...
子供心に、人に気付かれんうちに... なぁ〜んて、サッサ・・・ってな感じ。
けんど、人の目には、どんな風に映っちゅうのかは知らんし分らんし気付かん。
私にとっては、どうでもえいこと。
何時の日か、それが土台となってか、管理の確立で頼りにされる様になった・・・と思う。
大腿骨骨折オバちゃんを看ていた時、電話が...
随分前にお料理屋さんでお客同士として出会って、その会話から意気投合!「お姉ちゃん」「mikiちゃん」と呼び合う仲で、お街に出て来た時に、「今何処何処で飲んでるけど時間があれば出て来ない?」なぁ〜んて。
殆どスルーする多忙な私やけんど、折りに触れ気に掛けて下さる優しいお方。
何時も旦那さんとご一緒で、ホンマに仲が良いご夫婦やなぁ〜と思いよった。
そのお姉ちゃんの携帯から掛かって来た声の主は旦那さん。
もう最期になるから顔を見せに来て貰えんか...って。
最期って何? 衝撃が走る。
文句タラタラの伯母をナースさんたちにお願いし、伺っていた病院へ。
「mikiちゃん来てくれたがやぁ... 会えて嬉しい」と抱きしめられた。。。
木切れの様に細くなった腕。
ふくよかだった面影は、そこには無い。背中を摩った掌に一本一本の骨の感触が伝わる程に痩せちょった。
長いこと会ってなかった間に、何度も手術を受けて、放射線、抗ガン剤治療をしていたらしい。
帰りに旦那さんから「手の施し様が無いから。もう幾許も無い。こんなことお願い出来んけんど、暇があったら、会いに来ちゃって貰えんろうか。ちょっとでも延命に繋げたい」と言われた。
その日から伯母とお姉ちゃんの病院へ通うことに...
ホスピスってね。患者さんが自由にしたいように出来るんですね。
食べたいもんも制限無いし、面会だって自由(確か..そうだった)
強い吐き気でご飯が食べれんって言いよったけんど、通ううちに「手巻き寿司が食べたい。羊羹が食べたい」なんて言うてくれる様になって...
旦那さんに、ついでに私の分迄買いに行かせたり...
一口だけでもいいじゃん!こじゃんと贅沢せんと・・・って、旦那さんに色々注文をつけて、両手一杯に買い物袋を抱えて帰って来た旦那さんを見て大笑いした。
ホンマ、治らん病気なら、このまま時間が止まれば良いのにと何度思ったことか。。。
けんど、お別れの日ってやって来るのですね。。。
酸素マスクを付けて、言葉を発せん様になっても、しっかりと手を握り返してくれて...「ありがとう」と言うお言葉。
しっかり頂戴しました。
旦那さんに声を振り絞って「一緒に居れて幸せやった」と言った言葉が最期になりました。
四十九日が過ぎ、ご夫婦だと思っていたのに、ご夫婦で無かったことを知りました。
色々とご事情があって、ご夫婦にはなれんかったがですね。
けんど、お姉ちゃんはホンマに幸せやったと思います。
籍こそ他人ですが、本気で愛し愛されちょった...
「世の中には、こんなに我が儘で自由奔放な人も居るがやなぁと思いよったけど、伯母さんのお世話もするし、結構見直した。バレンタインに貰っちょったチョコですが、残しておいたのであげる」と師匠。
ホンマ! なんちゃ〜知らんと!
・・・って!箱を開けると
(*/∇\*)キャー
可愛い〜〜〜 ♪ d(⌒o⌒)b♪♪ d(⌒o⌒)b♪
暫し眺めて・・・・・
パクリ☆
ご馳走様でした♪